——考えすぎる癖が、いつの間にか動けなさに変わっていた
昔の私は、
何かを決めるとき、必ず「答え」を出そうとしていました。
- これは正解か
- 後悔しないか
- 他の選択肢より優れているか
選ぶ前に、
できる限りの理由を集めて、
納得できる結論を出す。
一見、とても真面目で
ちゃんとしているように見えます。
でもある時、気づきました。
答えを出そうとすればするほど、
何も決められなくなっていたことに。
「答えを出さない」という選択を覚えたはずだった
きっかけは、
「いちいち結論を出さなくていい」
という考え方に触れたことでした。
- 白黒つけなくていい
- 今は分からなくてもいい
- 保留という選択もある
それを知ったとき、
とても楽になった気がしました。
実際、
感情を無理に整理しなくて済むし、
曖昧なまま置いておくこともできる。
でもその“楽さ”が、
いつの間にか別の形に変わっていきました。
気づいたら「決めないこと」が癖になっていた
- どっちでもいい
- まだ決めなくていい
- 今じゃない
そうやって答えを先送りしているうちに、
決断そのものが
重く感じるようになっていきました。
選ぶ理由を考えない。
答えも出さない。
でも、選ぶ責任だけが残る。
その状態は、
思っていたよりもしんどかった。
決断には「正解」より「区切り」が必要だった
後から分かったのは、
決断に必要なのは
完璧な答えではなく、
「ここで一度区切る」という覚悟
だったということです。
正しいかどうかは、
決めた後にしか分からない。
それなのに私は、
決める前から
未来の正解を要求していました。
それは、
どんなに考えても出ないはずです。
考えすぎる人ほど、答えを欲しがる
考える力がある人ほど、
- 可能性を見てしまう
- 別ルートを想像してしまう
- 失敗のパターンも浮かぶ
だからこそ、
「間違えたくない」という気持ちが強くなる。
でもその慎重さが、
決断のブレーキになることもあります。
今は「仮決め」でいいと思うようになった
最近は、
こう考えるようにしています。
- 今の自分で選ぶ
- 違ったら、また考え直す
- 間違えたら、戻ればいい
答えを出すこと=確定
ではなく、
「仮で選ぶ」
くらいの感覚。
そうすると、
決断は少し軽くなりました。
まとめ:答えを出さない自由と、決める勇気は別物だった
答えを急がなくていい。
白黒つけなくていい。
それは本当です。
でも、
決めないままでいることと
考え続けることは違う。
答えを出さない自由を知ったあとに、
もう一度「決める」という行為を
自分の手に取り戻す。
そのバランスが、
今の私にはちょうどいい。
もし今、
決められない自分を責めているなら、
それは怠けではありません。
考えすぎるほど、
慎重なだけ。
必要なのは
完璧な答えじゃなくて、
一度区切る勇気なのかもしれません。


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